鼓動 遺書 忘却

趣味とか日記とか

部屋が汚い

敷布団に寝っ転がって音楽を聴きながらスマホをいじって、右を向いたら収納しきれずに積み重なったCDとその上に百均で買ったこだわりのないショットグラス、隣の台の上には時計と指輪、ウクレレが無造作に積み重なっていて、足元の方を見るとお気に入りの柄シャツとキャップがハンガーにかかってる。左にはエレキギターが立てかけられていて床にマルチエフェクター、その隣に酒瓶が3本ほど放置されている。なんか、全部が自分って感じ。

 

相変わらず自身の欲求について悩むことが多い。人間は欲深いもので、何一つ不自由の無い生活に+αを求めてしまう。この性が面倒臭いし疲れる。

 

睡眠の質が悪いらしく、夢を見ることが増えた。覚えている夢は、ことが全て上手く進む夢とか誰かに愛されている夢、髪が伸びる夢。夢占いというものをあまり信じている訳ではないが、潜在意識が形となっているという意味での夢占いの結果はそれなりに参考になると思っている。最近の夢占いの結果はというと、現状に不満があり、愛を渇望している状態とのことらしい。

夢が先か現実が先かは分からないけれど、確かになんとなく満たされない自分を見つけることが増えた。それと、少しだけ体調的にも精神的にも疲れが取れない。多分寒いせい。心が弱い時は、意味がダイレクトに伝わる分色々考えてしまうから日本語の曲を聴くのが少し躊躇われる。

 

愛だとか恋だとかは曲のテーマにされやすいし、今の自分にはそれがなかなかキツい。具体的に何か悩みがあるとか、恋をしているとかそういう訳なら良いんだけれど、残念ながらそうではなくて、現状への不安を感じてしまうから。誰かを愛する状態が普通で、それが出来ていない自分は異常なのではないか、のような。普段は抑えつけている漠然とした渇望が呼び戻されてしまうのが恐ろしいこともある。自分の内面のどこかが絶望的に歪んでいて、どうしたって器用に生きられないような気持ちになる。近頃は鳴りを潜めていた自己否定がまた顔を出しそうで怖い。

 

愛なんて そこじゃなくて 生きているだけじゃ足りなくて、この空は広すぎる 独りきりじゃ広すぎる、いつか誰かと愛し合う一つの命

全部大好きな曲の歌詞だけれど、今は複雑な気持ちになる。昔恋に恋をしていた時に聴いた時は、歌詞に感銘を受けて、歌詞の意味がわかって、そうして共感していた。今は、別世界の人たち、真っ当に生きられている人たちの話に聞こえる。他人事のような、自分には不可能なことみたいに諦念が押し寄せてくる。ただただ生きているだけでは足りなくて、独りでいると世界に取り残されたように感じるのに、これを解消するためにどうしたら良いのかがわからない。

 

別に俗に言われる愛ってやつが全てではないことくらいわかっている。一人で生きていけるように強くなろう、とも心に決めた。そうではあるのだけど、そう簡単に折り合いはつけられない。少しでも自分を誇れるようになろうと決意してから、以前と比べて明らかに前向きに生きられるようにはなった。けれど時折、この努力というか目の前のことをこなすことに何の意味も無いような虚無感に襲われる。そういう時に、誰かをちゃんと愛することのできる世間の人たちに気後れする。正常に、普通に生きることを諦めたからといって、何かに特化したり究めたり情熱を捧げたりできるほどの素質も才能もないから、「自分は無価値である」という自己否定をして、病んで思考停止してしまいたくなる。もう過度な自己否定にはうんざりだし、そんな事態は避けたい。何が言いたいのか分からなくなってきたけれど、とにかくあの時の決心が揺らぎそうになる日々の心境の変化が怖い。

 

大学が休みに入って昼夜逆転しているのが効いていそうではある。深夜の悩みほど鬱屈としたものは無い。部屋の汚さと頭の整理具合は比例するというし、とりあえず部屋を片付けよう。