鼓動 遺書 忘却

趣味とか日記とか

夜更かし日記

寝る前にLineのBGM変えようと思って、候補を探しつつ色々聴いていたら、寧ろ聴く方に夢中になってテンション上がって眠れなくなった、そんな価値ある夜更かし。半年以上ぶりのブログも書きたくなる。アゲ。今の感情をなんとなく書き残して置きたい。

Memento mori

Memento mori

最近はなんとなくBUCK-TICK以外の曲が多くなっていたから、久しぶりに歌詞・メロディを全力でじっくり聴いた。ラテン語の諺"memento mori"「死ぬことを忘れるな」、これを沖縄民謡のメロディで歌い上げたロック。格好良すぎる。

高校生の頃、BUCK-TICKを狂ったように聴き続けて、今の自分の価値観を創り上げてくれたことを思い出した。人生は愛と死。期限付きの爆弾抱えたまま、生きるこの人生。愛はまだわからないけれど、喰らい踊り明かそう、ダイジョーブ、俺たちは愛と死。

5月に学会で知り合って話をした先生が亡くなったと7月に訃報を受けて、まだ若い方だったし、優しい方で、また話せると、お世話になりたいと思っていたから、たった数回しか話していなかったのに酷く心が燻った。その先生をストーリーに落とし込んで納得しようとしても、なんだか死をフィクションとして捉えているようで心の整理は多分まだ出来ていないけれど。人はこうも呆気なく逝ってしまうんだ、と思った。

いつ爆発するかわからない爆弾、こんな厄介なもん抱えさせられて、I was born 、生まれさせられて。でもこの世で色々な形の愛を貰って。それは音楽とか人とか芸術とか景色とか、ある種歪んだ愛も、無ければ良かったかもしれない愛も、自分を救ってくれた真っ直ぐな愛も、色々。高校生の頃みたく全部を剥き出しの感性のまま考えたり受け止めたりしながら生きることは出来なくて、敢えて鈍感に、感じないように生きるようになっていたけれど、久しぶりに人生とか愛とか死とか、そういうものを考えていたこと、BUCK-TICKに教えてもらったことを思い出した。

まだ自分が生きていることを肯定はできていない。どう生きれば良いかも、大切なものが何なのか見誤らずにいられているかもわからない。なんかでも、もしかしたら物凄く単純で、人生は、俺たちは、"愛と死"でしかないだけなのかもしれない。

  • 生と死と君 - MUCC

生と死と君

生と死と君

どうして彼を選んだの神様

その先生が亡くなった時に、やり場のない心をどうにかしたいと思って聴いていた曲。自分にとっては整理のつかないことが起きた日なのに、当たり前だが別の人にとってはなんの変哲もない1日な訳で。身体はただの有機物でしかないから、簡単に燃えて煙となって呆気なく空に消えていく。

惡Remixだと、ミヤさんの「生きることに嘆いてんじゃねぇって君はどこかで笑ってる」パートが入るはず。先生がそう言ってる、なんてそんな陳腐なことは言いたくない。ただ、まだ爆弾に残りがあるんなら、どうにかがむしゃらに足掻いて生きないといけない、生きたいって思う。

人が死んだ時、その人がくれた思い出の記憶は、どう残っていくのかな。それが魂なのか?人間にあってAIには再現できないものは魂ではないか、と指導教員と話したことがある。生粋の科学者が云う非科学的な魂の存在は、寧ろ説得力があった…気がした。

くそったれの世界

くそったれの世界

お前のそのくそったれの世界 俺はどうしようもなく愛おしい 世界中に叫べよI LOVE YOUは最強 愛し合う姿はキレイ

愛なんてまだわかんねぇよ、わかんねぇんだよ、うるせぇよ、って思っているけれど、物凄く単純なものなのかもしれない。なんだかもうすぐ分かりそうな気がするし、結局わからずじまいかもしれない。

最近、というか多分まさに今、自分は人生の岐路に居る。大切なものを見誤らないように、でも自分で決めないと後悔する。それは進路も人との繋がりも。今幸せなだけに、ぼんやりとした不安が常に付き纏っていて。適切に人に迷惑をかけることは多分必要で、それが今まで出来ていなかったから、今度こそ間違えないように。未来、楽しみだけれど怖いな。

何かにすがるならどっかに魂を売っ払った方が…魂を売れるほど覚悟は決まっていないけれど、ロックの生き方を忘れたくないという意味では座右の銘として刻み込んでおいてやろうか。