鼓動 遺書 忘却

趣味とか日記とか

依存

サブスクはあまり好きではない。自分の性格を考慮すると恐らく"インスタント音楽"になってしまう気がするから。それが嫌でCDで購入して、取り込んで、聴く、という手順を踏んでいるのだけれども、最近の自分の聴き方が大分流し聴き気味になっていて気に食わない。

高校生の頃は行動範囲も狭ければAmazonSpotifyのアカウントも持っていないし、何より自分でお金を稼いでいなかったから手元にある音楽は限られていた。お年玉とかお小遣いで貰うお金には手をつけられない性分で、毎月親から頂いていた確か5000円(高校生にしては高いかもしれないけれど)で友達と遊んだり欲しいものを買ったりしていた。だからこそ手元にあったり中古で買ったりしたCDをアルバム単位で何十周も聴き込んでいた。ヘビロテをしていると、流し聴きになるとき、歌詞に注目するとき、音に注目するとき、リズムに注目するとき、とか色々な聴き方をする。大学生になって自分のPCを所持してからは、タイピングの練習として歌詞を打ち込むなんてこともして、音で聴いていた歌詞と歌詞カードが違うことに感動することも沢山あった。曲に対する愛着も凄まじくなるし、この曲の次に何が来るとか、この数秒のフレーズが好きとか、そういうのめり込み方をする。縋りつけるものを追い求めていた思春期の自分にとって、音楽はある種の依存先だったし、自分の価値観だった。当時から周囲にも音楽好きはいたけれど、自分は特定のバンドいくつかしか聴かないので、音楽好きという扱いよりも、どちらかというと追っかけとかオタク?バンギャ?みたいなものに近かった。未知の素晴らしい音楽を知りたいというよりは、今気に入っている世界に閉じこもっていたい気持ちの方が強かったし、そもそも自分ではあまり買えずにせいぜい貸し借りが限界だったからそれに満足していた。

 

大学生になってからは幅広く音楽を聴くようになった。一番は自分で使えるお金を稼げるようになったことが大きくて、罪悪感を感じず、忖度もせずに自分の欲しいものを買えることが嬉しい。その頃から、バンギャのような感じではなく音楽趣味の人間寄りになっていったような気がする。アーティストとか音楽ジャンルとかに詳しくなったのは間違いない。自分がそれまで知らなかった良い曲を知ることは楽しくて仕方がないし、音楽に詳しい人が周囲にいたり、或いは自分と近いけれども範囲外だった音楽にのめり込んでいる人との情報交換で開拓が進んだりして充実感を得ていた。

ただ、最近情報過多というか、気になっていたり興味を持っているアーティストとか曲に対して自分の余裕、キャパが間に合っていないために、アルバムを聴き込むことをしなくなっている。かつてはどれだけ気に入らないアルバムでも、それしか手元にないから何度も何度も聴いて、段々癖になっていく、みたいな現象が結構あったのだけれど、最近はその割合が減ってしまった。中古CD屋がある場所へ出掛けるといつも立ち寄って何枚か買ってしまうので当たり前といえば当たり前なのだが、曲名を知らないとか展開を覚えていないとか、なんか音楽に対して物凄く失礼なことをしている気になる。もっと深く向き合う姿勢を持ちたい。

 

何かへののめり込みという点でいうと、高校と大学で自身の性格も大分変わった気がする。高校時代は良くも悪くも依存気質だったから、趣味とか努力とかには相性が良いものの人間関係には最悪な訳で。大学ではこれが逆になって趣味や勉強とかへの没頭具合は弱いけれど、他人に依存して破滅するような事態は激減して、一長一短。感情の起伏が穏やかになる分、自分の居場所が何処にもない虚しさを常に味わうトレードオフ。上手いことスイッチを切り替えられると良いのだけれど、難しい。

 

別に結論は特にないが総括するなら、沢山幅広く音楽を聴くのは最高だけれど、せめて曲と曲名とが一致するように心がける姿勢は持とうと思う、くらい。そういえば最近音楽好きで集まって音楽についてのみ語るような会ができていない。やりたいはやりたいけれど、ある程度嗜好が近くないとお互いに興味のない音楽を勧め合うことになるので面倒臭いし…とぼやいて多分まだ暫くはやらない。